死にたがりのパラドクス

心身共に健康な死にたがり引きニートの日記

死にゆく人の日記を読む

※タイトルのまんまな内容。
※うっかり更新サボったから、連続になっちゃった(´・ω・`)


その人の亡くなる一か月前から約二週間分の日記の、
その全てを見せてもらいましたの。

余命数か月と知ってから、およそ四か月を生きた人。

日記には書いていないけど、
死にたいとよく言っていたそうな。


身体の痛みは薬で治まっても、心の痛みは?

健康な人には依存性が強い麻薬のモルヒネ
でも、
強い痛みのもとでは、その限りではなく、
患者は正常な意識を保てるし、依存性も低い。
と、
学生時代に何かの講義でそんな話を聞いたと思うんだけど、
元ネタがどこだったか……

そんな訳で、もし医者から提示された選択肢に、
医療用麻薬があっても、恐がる必要はないの。
用法用量を守って……ってやつだな。乱用はダメ。

でも、意識が正常だからこそか、
焦燥と不眠に苦しみ、
ネットに散らばる幸せの掬い方にすがり、
あふれる情報の中から自分に響いたものを書き留める。

血糖値や幸福ホルモン、
唯我独尊、笑うこと、幸せと書くこと、
そして、開き直ること。

ロジカルに自分を説得させるより、
開き直って、流れに任せることにしよう、
ああでも、やっぱり……のループが、
強い焦燥感が、
乱れていく筆跡から滲むようだった。


私は、
幸せになる為の○○とか薄ら甘いポエム(?)を、
誰でも言える、どこか無責任な言葉を、
顔も知らない赤の他人から聞きたいのかって、
鼻で笑ったりもするタイプの人間だけど、
そういうのがなくならない理由を突き付けられた感じ。

他人の言葉だからこそ、
自分で選び取れるってことかもしれない。


ここも死にゆく人の日記と思えば、
ちょいと更新頑張ろう、
と思わなくもないかもしれないなー( ̄▽ ̄)



人を亡くした悲しさを安堵が上回る場合、
その人の死は、生前に受け入れられていた、

と、いっても良いのかしら?

これって、悪いことではないと思うの。
前回書いた、メメント・モリの話にも繋がる、よね?


もし、
看取った後、一人落ち着いた時に、
自然と安堵した人は、それを隠す必要はないし、
もちろん、責める必要もないよね。

それだけ頑張って付き添った、
ということでしょ?