友を亡くすということ、と、
※ちょっと真面目なお話。
先日、父の友人が病気で亡くなりました。
父と彼は幼馴染みで、同級生で、
家族ぐるみのお付き合いをしていまして、
親友ってやつだったと思います。
父は、その人以外にも、
小学校から高校までの友人と、
今でも交流を持っていますが、
私は、学生時代の友人との交流はないに等しい。
去年は誰とも連絡を取っていないような……
って、私のことは置いといて。
火葬の待ち時間に、
小耳に挟んだ話によると、うちの父ちゃんは、
その人の家に居候していたことがあるらしい。
それも、彼の子供がオムツをしていた頃。
オムツを替えた話は聞いたことがあるけど、
居候していたってのは初耳ですわよ(^ω^;)
……多分。
その子供というのは、私より10歳以上年上。
初代マリオを買ってあげた体で、
自分が遊び過ぎて泣かせた、とか、
そんな話もある。
それくらい交流が深かったってことにしておこう……
ただ、これって、
うちとその親子の間だけ話で。
父は彼の兄弟とも顔見知りだけど、
私と母は、丸っきり部外者みたいなもので。
家族葬だったから、尚更、
母と私は気まずかった(苦笑)
それでも、
お骨、拾わせて頂きました。
おじさん、お疲れさま。
またね。
実は、
私も同級生を亡くした経験はあるの。
大人になれなかった子が三人いて、
病気と殺人(無理心中)と事故だった。
学校の友達の死を、
すんなり受け入れた私は薄情なんだろうか……。
私は、そういう経験をする前から死にたがりで、
それ以外の人の死を見てきた今も死にたがりで。
だって、
遅かれ早かれ、私たちは別れるし、
生き物は必ず死ぬもの。
健康な人でも、
それが明日でないという保証はどこにもないのだけれど、
父の友人は、5年生存率とか薬の効果とか、
色んな情報を調べていて、最初の診断から五年目を迎える頃には、
もう心が疲れきっていたらしい。
彼の妻は、
調べなきゃ良いのにって溢していたけど、
気になりますわな。
それから、入院する度に、
もう家に帰れないかもしれない、
と覚悟したりさ。
癌だけじゃないけど、
身体の不調は、心も弱らせる。
判断力も落ちる。
それは患者だけではなくて……
ターミナルケアや(高齢者の)介護の難しさを改めて感じる。
余命が提示されても、終わりが見えなくても、
どちらであっても大変だよね。
だからこそ、メメント・モリ。
今日を楽しく、あるいは穏やかに過ごす為にも、
明日訪れるかもしれない死を忘れてはいけない。
と、思うよ。
そこからどう動くかは、それぞれに……。